top of page
英雄葬送曲

 

Epicedio Eroico
作曲 Carlo Otello Ratta(カルロ・オテロ・ラッタ)
イタリアのシェナで行われた第二回マンドリン作曲コンクール(1941年度)で第二位を受賞 大学4年生の冬に定期演奏会で演奏した曲である。 


社会人になってからも1度、合奏団の定演で取り上げた。 
この曲の思い出は学生時代・社会人時代のどちらの友人とも共有していると言える。 
 技巧的にも難解な前半部分は1stマンドリン泣かせであるが、練習し甲斐がある。 
後半のアンダンテカンタービレのメロディーは実に美しく、この曲はマンドリンオリジナルの中でも最高峰に位置づけられることは疑いない。 

実は学生時代の仲間内数人では、いつか訪れるであろうお互いの「葬式」で、この曲のアンダンテカンタービレを演奏しようと話している。 
ただそうすると亡くなった人のパートが当然欠けることになるので、生きている間にマイナスワン演奏を録音しておく必要がある。 

いや、そのうちマイナスワンでは足りなくなる。 
2人欠けた場合、3人欠けた場合などの各種パターンを用意しなければならないし、その欠けるパートも何通りもあることになる。 
これはいささか面倒だ(^^;) 
問題は最後まで生き残った場合である。自分以外のパートは全部故人が生前に録音したカラオケテープになってしまう(苦笑)。 
それらの音をバックに一人で演奏するというのは少々寂しい気がするが… 

************************************************************

この曲ができた頃は、第二次世界大戦の真っ最中である。 
特に1941年のコンコルソはムッソリーニの独裁政治がピークをやや過ぎた頃に開催されたものであり、本曲は特殊な時代背景の下に生まれた作品であると言える。 

僕なりにこの曲を深読みしてみたい。 

暗く重々しい曲の前半部分は、イタリアを始めとする枢軸国が苦しい戦いを強いられている様子が表されている。 
なお、この曲には"Ai Valoroni caduti di Tobruk"(トブルクで没した勇者たちに)という副題が付されており、激しい戦車戦が行われたリビア「トブルク」の陥落によせた曲であると言える。 
トブルクは連合軍・枢軸軍の勝敗を決する重要な戦略上の拠点であったが、実際は陥落によりイタリアは徐々に不利な状況に追い込まれていった。 

後半のアンダンテ・カンタービレについて。 
幾多の戦いを経て、枢軸軍の勝利により戦争は終結する。 
だが、悲しいかな多くの兵士たちが戦場に散り、残された戦友は鎮魂の歌を口ずさみながら順次戦地を後にする。 
そして勝利を収めた軍隊は祖国に凱旋し、戦場に散った兵士たちもいまや英雄として沿道の市民の拍手喝采を浴びながら華々しく葬送されていく。 
これから訪れるであろう世界平和の実現に群集は心躍り酔いしれるのである。 
歴史的にはこうはならなかったが。 

こう見てくると、本曲は枢軸国側の勝利を願った「戦意高揚音楽」ではないかと思えなくもない。 
しかし、ラッタを始めとする市井の人々は、一日も早く戦争が終わり、とにかく平和が来ることを強く願っていたことに疑いはない。 
終わるとなれば自分の方が勝ってほしい、と考えるのがごく自然であろう。 
永遠の平和を希求する名曲であることに変わりはなく、この曲のすばらしさに対しては、戦時の事情がいささかも影響することはないと僕は思っている。

bottom of page