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九州民謡・名歌メドレーの編曲に寄せて
 

2019年9月、当合奏団は名古屋マンドリン合奏団の第61回定期演奏会(第2部ステージ)にゲスト出演させていただき、九州に伝わる民謡や名歌をメドレーにした曲を初演することとなりました。
さらに同曲は、10月に当合奏団の第77回定期演奏会で再演する運びとなっています。
そこで新たに編曲するにあたって、九州各県ごとに有名な楽曲を列挙して整理し、入念な検討を行うことにしました。


各県とも、地域に根付いた民謡や出身歌手等による歌謡曲など数多く曲があり、とても絞り切れるものではありませんが、編曲にあたっては、特に全国レベルでも歌い継がれてきた民謡や、特徴的な歴史伝承のイメージが深い曲を独断で選んでみました。
できるだけ多くの曲をモチーフにしたメドレーにして、九州の魅力を広くアピールすることができたらと考えています。

1 鹿児島おはら節【鹿児島】

「花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは オハラハー 桜島・・・」


鹿児島を舞台にした代表的なご当地民謡。花柳界の酒席の騒ぎ唄として江戸時代の初期から歌われ始め、昭和初期に鹿児島出身の芸者によってレコード化されて全国的に流行した。その後様々な歌手がカバーしている。
おはら節の名称については、日向国の郷士が歌った歌が鹿児島の郷士に歌い継がれて形を変えた説や、日本各地の港町で歌われたおはら節が鹿児島に伝わった説、750年前に霧島神宮参拝の際に歌われていた曲が発祥、など諸説がある。

2 炭坑節【福岡】
「月が出た出た 月が出た ヨイヨイ・・・」


明治末期から昭和にかけて、炭坑労働者たちが単調な選炭の作業をしながら歌ったと言われている。この曲は日本各地の炭坑で歌われたが、発祥の地は北九州市に近接した筑豊地帯である。筑豊は明治時代の末から炭坑の街として栄え、北九州市は筑豊炭田を基礎として、製鉄所や港湾が建設されるなど工業都市として大いに発展した。
本曲は、現在ではスタンダードな盆踊りの楽曲として全国に広まっている。

3 黒田節【福岡】


「酒は飲め飲め飲むならば 日の本一のその槍を・・・」


わが国の古謡「越天楽」の旋律による祝唄。筑前黒田藩の母里太兵衛という酒の強い藩士が、福島正則の名槍・日本号が賭かった大杯を飲みほし、槍を見事に入手したという故事がもとになっており、江戸時代に作られた。現在では酒席の唄として有名である。
筑前黒田藩は今の福岡市。黒田長政が関ヶ原の戦功により筑前52万石の大封を与えられて成立した。また日本号とは、福島正則が1590年の小田原城攻めの手柄によって豊臣秀吉より賜った槍のことである。

4 ひえつき節【宮崎】


「庭の山椒の木 鳴る鈴かけて ヨーホイ・・・」
宮崎県の東臼杵郡椎葉村に伝わる民謡。稗を臼に入れ杵でつくときに歌った作業歌だが、歌詞には椎葉村に残されている平家落人の悲恋伝説が使われている。
鎌倉時代。平家追討のために椎葉村に入った那須与一の弟・大八は、平清盛の末孫とされる鶴富姫と恋に落ちた。やがて帰還せざるを得ず、身ごもっていた姫を残して涙の別れとなったという。
この曲は色々な形で古くから歌い継がれていたが、昭和の初めごろにレコードなどで広く知られるようになった。

5 刈干切り唄【宮崎】

「ここの山の 刈干ゃすんだよ 明日は たんぼで 稲刈ろかよ・・・」


宮崎県高千穂地方の民謡。秋山の草刈りで歌われた、男性的で風土色の濃い仕事唄である。
高千穂地方では、春の山焼きとともに行われる、古くからの季節の行事で、秋になると山に密生するカヤなどの雑草を大鎌で刈り取り天日に干した。干し草は冬場の家畜の飼料として使われた。そうした山で働く人たちに歌い競われたのが刈干切り唄である。

6 島原の子守唄【長崎】

「おどみゃ島原の・・・」


作詞作曲は宮崎康平。かつて邪馬台国ブームを起こした名著「まぼろしの邪馬台国」の作者である。
宮崎康平は1950年に病気で失明したが、妻は二人の子を置き去りにして出て行った。失意の中、泣く子をあやしていた彼が何となく子守り唄を唄っているうちに、この歌が出来たという。その後、この歌が音楽家の目に留まり、島倉千代子の歌唱によって、その情緒的なメロディが広く知られるようになった。本曲は、当初は島原地方で歌い継がれていた子守唄が原曲ではないかと言われていたが、現在では宮崎氏の作品とされている。

7 五木の子守歌【熊本】

「おどま 盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃ おらんど・・・」


熊本県球磨郡五木村に伝わる子守唄。現在では熊本県を代表する民謡として全国的にも極めて有名である。
鎌倉幕府は、五家荘(八代市)に定住した平家の動向をチェックするため、東国の武士を隣の五木村に住まわせた。武士の子孫は次第に地主層を形成し、小作人は田畑や農具などを地主から借りて生計を立てることを強いられた。小作人の娘たちは10歳になると地主の家や他村へ子守奉公に出され、子守唄はこの悲哀を歌ったものであると言われている。

8 おてもやん【熊本】

「おてもやん あんたこの頃 嫁入りしたではないかいな・・・」


熊本の代表的な民謡で、もともとは花柳界の座敷唄。江戸時代末期に踊りの師匠が創作したと言われている。お嫁に行った女性のユーモラスなエピソードを集めた熊本訛りの陽気な歌詞と軽快なメロディは、楽しくてインパクトがあり、現代までたくさんの歌手がカバーしている。
熊本では、「火の国まつり」という夏祭りで、「おてもやん総踊り」が繰り広げられる。

9 あんたがたどこさ【熊本】
「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ・・・」


熊本市船場地区を舞台とする有名なわらべうた。女の子の手まり唄として古くから歌われている。
ただ歌に出てくる「せんばやま」は熊本には存在せず、埼玉県川越市の仙波山を指しているのではないという説がある。戊辰戦争(1868~1869)の時、薩長軍は仙波山に駐留していた。付近に住む子供たちが兵士にどこからきたのか尋ね、熊本藩出身の兵士が答えている様子ではないか、ということである。いずれにしても熊本にゆかりの深い曲であることには間違いない。

2019.4.6 執筆 

(本文章については、加筆修正をすることがあります)
 

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